不思議でならない出逢い

(庭のカリンは季節が進むといつしかポトポト実を落として少なくなっていく。例年、秋までがんばって生き残る実はそんなに多くはない。今数を数えてみると、残っているのは40個あまり。葉と実の色が同色だし、実の大半は葉の間に隠れているので、なかなか正確な個数は調べられない。数えるたびに少しずつ違ってくる。だがまあ、40個と言っておけば、当たらずとも遠からずだろう。いつもより少し多いか。これは冬から春にかけて、根元に肥料を大量に撒いてやった効果かも知れない。去年までは栄養不足だったのだ。) ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 以前にも同じようなことを書いた記憶があるが、それよりもはるかに不思議なことがここ2日ほどの間に起こった。昨日、昼間から熱中していた仕事が一区切りつき、さて散歩に出ようかと思ったが、すで夕方7時20分くらいになっていて、外はけっこう暗い。でもまあ散歩は習慣だからと出ることにした。出かけようと玄関に出て運動靴を履いたとき、靴下を履いていないことに気がついた。靴下を取りに二階に上がり、それを履いてからまた下に降りてくると、最低でも1分くらいの遅れにはなったはず。まあ裸足に運動靴でも足を痛める可能性は少ないだろうと、瞬時に判断し、靴下は履かずに散歩に出てしまった。さてそれで、外が暗くなりかかっているときのいつものコース、つまり田園の道を避けて、民家が建てこんでいるあたりのコースをとった。民家を貫く大通りの歩道だ。足の調子がいつになく良くて、すたすたと思った…

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ついに人工透析一歩手前へ

《近在の人たちを楽しませてきたこのハナショウブ畑も、今ではすっかり枯れてしまって、姿はない。今は、どこからどこまで真夏だ。蛙がガッガガッガ、ゴッゴゴッゴ、ギーギー、クエッ。セミがジージー、ミーミー、ジャージャー、ワーンワーン。朝日はクワッと肌を刺す。いつの間にやらすっかり盛夏だ。》 6年前に全身性アミロイドーシスという難病と診断され、2,3年の命と宣告された。3年後の世界をぼくはもう見ることができないのか。恐怖に震えて七十近い老人が芯から涙を流したのがあの日。だがその後、造血幹細胞の自家移植という、血液の総入れ替えに等しいそら恐ろしい処置を受けて、アミロイドーシスそのものはなんとか寛解状態に落ちついた。だが、「全身性」の影響が腎臓に出た。これは如何ともしがたいもので、階段を一歩一歩下るように、着実に数値が悪くなっていく。はじめのうちはなんとか踏んばっていたが、数値がある閾値を超えると急速に悪化の度合いが早まっていき、止めようがなくなるのが腎臓らしい。もはや元にもどす方法はなく、根治させるには腎臓移植しかない。だが、これには相手が必要。そう易々とできるわけではない。そこで当座の現象をごまかすために人工透析をすることになる。週に3度、4時間の透析。大変なことだが、しかたない。これによって、働きの悪い腎臓が生み出した濁った血液を、機械を使ってきれいにするというわけだ。なんとも情けないが、ここまで来てしまった。もうどうしようもない。受け入れるしかない。人工透析のためには血管を太くして、血液の流れをよくし…

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六十代と七十代の大きな段差

(砥部動物園の人気者) 最近つくづく思う。七十を過ぎると身体に粘りがなくなってきたなと。六十代と七十代は連続しているかに見えて、実は間に大きな段差があったんだなと。こんなはずじゃなかったのに。こう思うことが、近ごろほんとに多くなってきた。これはもちろん歳のせいとばかりは言えない。ぼくが抱えている病気のせいでもある。潰瘍性大腸炎を長く患っているが、こちらはかなり安定した寛解期にあるので、問題ない。問題は全身性アミロイドーシスという難病の方だ。これのせいで、腎臓をやられている。ついに透析の準備に入らねばならなくなった。三日後には入院して三泊四日の手術を受ける。透析のための血管を準備するのだ。腕の静脈と動脈にバイパスを作り、透析の際、そこに針を刺すらしい。どういうことになるのかまださっぱり実感は湧かないが……。実際に透析に入るのは一年後か、二年後か、五年後か、それは経過次第だという。いつでも透析できるよう、まずは血管の準備をしておくというわけだ。そういうこともあって、身体の芯に元気がなくなってきた。それをつくづく思うのは、散歩をしているとき。電車を降りて駅から出て来た三,四十代の若者(後期若者?)がさっさと家路に向かうのが、えらく足早に思えるようになったこと。猛然と歩くように思え始めたこと。数年前までなら、彼らと並んで歩けたはず。ときには追い抜こうかと思うことさえあったはず。ところが今は、彼らがずんずんぼくを追い抜いていくのをただ呆然と見送るしかない。こんなにスピードが落ちたのか、全身のバネがなく…

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今からが夏の盛り

松山あたりはもう20日も前に梅雨明けと発表された。何たることと思った。案の定、晴れたとはいえ、またまた雨。空気がまるで夏空ではなかった。梅雨明けと言われながらも、これはおかしいとずっと思っていた。ぼくの例年の体験から言えば、空気がガラッと入れ代わって夏空になるのは7月16日。不思議にも、この一点が転換点だと言わんばかりに、7月16日から夏空になるのだった。決まりごとだった。退職してもう10年になるが、ぼくは長く教師をしていた。私立学校の呑気さと言おうか、7月16日が一学期最後の日で、翌日からは生徒らとともに、われわれも事実上長い夏休みに入るのだった。といっても、補習があったり、部活があったり、学期末の成績処理があったりと、なかなか100%の夏休みを楽しめるわけではなかったが……。それはともかく、7月16日の夕刻、教師仲間と囲碁など打って楽しんだのち、学校の玄関を出ると、毎年決まって「あっ」と驚くのだった。前日まではなかった入道雲が目の前にもくもく湧いている。空は真っ青。真っ青な空にみごとな白雲。ああ夏になった。芯から感激する瞬間だった。見た目の変化だけじゃない。空気感がまるで違う。「盛夏」という言葉がぴったり当てはまる空気感!そして同時に、ああ今年もやはり7月16日から夏になったなと、なんだかほっと安堵した気分にもなるのだった。今日はまだ7月15日。例年なら明日が盛夏の始まりだが、はたしてどうか。多少の雨が予想されてはいるが、空気が変わったことは確実にわかる。蛙やセミがそれを敏感に感じとってい…

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参院選の結果。安倍銃撃の余波

カエルの合唱を久しぶりに聞いた。今年は蛙が少ないと聞いていたし、実際そうだった。しかし、昨日、たしかに鳴いていた。すべての田ではない。せいぜい1,2枚に1枚くらいの割合。畦道でオタマジャクシを探したが、見つけられなかった。それくらいわずかしか蛙はいないのだ。でも、季節はたしかに進んでいる。 参院選では、自民の圧勝、公明の現状維持、維新の前進、立民の後退、共産の前進のない現状維持、国民も共産に似て前進のない現状維持。これらはほぼ実施前から予想されていた。期待の持てない、なんと面白くない選挙だと、はじめから思っていた。でも、一票を入れに期日前投票には行った。予想通りになった。そこへもってきて、投票日直前の安倍氏の唐突な銃撃死亡事件。これは安倍氏にとっても、安倍派にとっても、自民党全体にとっても、さらには日本の保守派にとっても、たしかに痛手であって、一種の弔い合戦に近い、自民党への雪崩れのような支持の拡大につながった気がする。もちろんあまりに直前だったため、雪崩れ現象の効果がどれだけ現実化したのかはわからない。ただ、献花の行列が毎日ほとんど四六時中、何百メートルも途絶えることなく延々続いていたのは異様であり、その多くが高校生も含む若者や二、三十代の若い主婦であったり、勤め帰りや勤め途中のサラリーマンであったりしたのには、何かやはり脅威を感じずにはいられなかった。これをやっておかないと仲間と見られないという、現代日本特有の。こわい同調意識があったとしか思えない。結果、いわゆる「改憲勢力」が2/3以上…

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胃と大腸の内視鏡検査

今日は、長く患っている潰瘍性大腸炎という難病に対する、年に一度の内視鏡検査の日。そのため昨日、胃と腸をすっかり洗浄してしまう強力な下剤を飲む。 この下剤、去年までは口にした途端ムッとくるような味とにおいで、少しずつ少しずつ我慢しながら口にしないといけない代物だった。思うに、そのあまりのひどさに苦情が絶えなかったのだろう。今年は「あれっ」とびっくりするほど改良されていた。例年味わってきた「ムッ」がまるでない。スポーツ飲料を飲むような口当たりのよさ。驚いてしまった。 しかも、2リットルのうちの半分、1リットルを飲んだのでよいとのこと。今までは2リットル全部を飲むことが求められていた。1リットルで効果が出てこなければ、さらに続けて飲むようにとも書かれている。昨夜、1リットルで完璧な下剤効果を確信し、今朝、かかりつけの内視鏡専門クリニックに出かける。朝一の検査だったためか、それともコロナの影響なのか、待っている患者が例年になく少ない。順調に進む。例年ならば、腕に全身麻酔の注射が打たれるのを目の前ではっきり確認したのち、数秒でそれが効いてくるのか、たちまち意識が薄れはじめ、胃に管が差し込まれたり、大腸に管が差し込まれたりするのはまったく意識の外。我が肉体がそんな目に遭っていることにさえ気づかない。 そして目ざめるのは、事がすべてが済んで看護師が尻をきれいにしてくれているときか、あるいは別室までベッドを移動させられたあと。醒めた瞬間、自分が今どこにいるのやら、何をしていたのやら、何もわからず茫然自失。時…

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人工透析が現実となる

今日の検査でクレアチニンがさらに上がり、腎臓の主治医に一年以上にわたって脅されて続けてきた事態がとうとう現実になってしまった。人工透析の第一歩であるシャントという手術を受けることになったのだ。シャントとは腕に透析針を刺すための受け皿だ。動脈と静脈を直接繋ぐバイパスを作り、その付近の血管を太くしておくらしい。その太いあたりから透析針を突き刺すことになる。まだピンときていないが……。シャント作りの手術が7月下旬に予約される。三泊四日の手術。この手術は患者にとっては人生初だが、やる側の術者や看護師にとっては日常茶飯事。すべてが三泊四日で終わる流れ作業のようなもの。シャントを作ったからといって直ちに透析が始まるわけではない。長い人だとそれから5年くらいかかることもあるという。すべては患者本人の努力次第、我慢次第だ。生活を律して、腎臓をそれ以上悪くさせないための生活習慣を徹底させ、食事に気をつけること。それにかかっている。ああ、それにしても、ついに来たか。ちょっと人生の覚悟をさせられた一日となった。 (2022年6月7日)マイブログ・トップへ

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小学1年生と仲良しに

今日、3時前、いくつかあるうちのやや長めのコースを散歩。ちょうど中間地点に当たる小学校脇までやってくると、向こうからランドセルを背負った小さな女の子が二人歩いてきた。まだ5,60メートルも離れている先からなにやら声が届く。「こんにちはー」と言っているようだ。これはこの小学校でけっこう徹底的にしつけられている挨拶で、たいていの子がすれ違うときにこう言うのだが、まだずいぶん離れている。挨拶には遠すぎる。ぼくに向かって言われているとはとても思えないから、誰かが物陰にでもいるのだろうかと、返事をせずに近づいていく。すると、20メートルくらいまで来て、また「こんにちはー」これはもうぼくに向かって言われているとしか思えない。「ほーい」と大きな声を返す。言ってから、妙な返事だなとは思った。普通の「はーい」ではまだ遠すぎる気がしたから、遠くに呼びかける気分も込めて、思わず「ほーい」になってしまった。すると10メートルあたりまで来て、三度目の 「こんにちはー」こうなると、いつものように単なる挨拶だけですれ違うのはもったいない気がして、ぼくの方も「こんにちは」 と言い、続いて向こうが目を向けてくれたとき。 「何年生?」と聞いてみる。二人のうちの一人が指を一本立てて「1年生」「二人とも1年生?」「はい」「そう、元気そうだね」 「うん」 「がんばってね」「はい」こうして離れていったが、なんだか実にすがすがしい。それで終わりかと思っていると、すれ違った背後から大きな声で「バイバイ」ぼくも即座に振り返って、「バイバ…

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露呈した体力の衰え

(かつて城山に毎日のように登っていたころの山頂風景) 驚いた。わずか6年間でこんなにも衰えていたとは。6年前までは、ほとんど毎日のように城山に登っていた。65歳でシニア定期券を買ったのをきっかけに、毎日必ず電車に乗って市内に出かけ、市立図書館や県立図書館、美術館に入りびたっていた。そして、ついでに城山に登り、ときにはプールで泳ぐ。これが日課だった。それがぷつっと止まったのが6年前。6年前にいったい何が起こったのか。その年の5月、全身性アミロイドーシスと診断されたのである。しかも、この病気は同病者が少なく、治療法がいまだにわかっていない難病であるとも。余命は片手でも余るほどということが、主治医に見せられた「余命統計表」なるものからわかった。主治医は、こわがらせるのではなく、真実を知らせて覚悟を迫ったのだった。以来、何度も入退院を繰り返してきた。全身の血液の総入れ替えにも等しい処置を受けたりもした。その結果、幸いにも寛解状態に移ることができ、片手で余るはずの余命を、とりあえずのところ、6年間は生きてきたのである。 そして今日、6年ぶりに城山に登ってみた。黒門口から。 これまで数えきれず登ってきた経験から言って、黒門口からの登山道が最もきつい。何がきついのかというと、途中の石段を登るのがきついのだ。石段と言っても、整備された普通のイメージの石段ではなくて、でかい岩を順々に坂道に並べただけの石段。おそらく400年前の創建時のままだろう。きついのはその段差だ。尋常な高さではない。ウントコショ、ドッコイ…

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ぼんやり病が急転直下、好転。

(近所のアジサイ。しっとりとして、いかにも梅雨どきにふさわしい。) 最近、といってもここ1,2週間、頭がぼやっとして元気が出ず、昼間でも眠くなって、机に向かっていても仕事に集中できない。そんなことが続いていた。 はじめは気にもかけていなかったが、いつまでも続くものだから、これはきっと1年半ほど前の脚立からの落下が原因ではと思うようになってきた。落下したとき意識を失い、救急車で県病院に運ばれた。脳神経外科で精密検査を受けた結果、脳内に二ヶ所、出血があるのが発見された。そのときは一週間ほどの入院で一応出血は止まり、たまった血液も吸収されて消えてしまった。意識状態にも運動機能にも特に問題は残らなかったから、なんとか退院したのではあった。しかし、そのときの主治医の話では、頭蓋骨と脳との間に本来はない空洞ができていて、そこに血がたまるようなことがあると、半身不随になる可能性がある、とのことだった。だから退院の際、「定期的に検査しましょう。もしも少しでも異常を感じたら、いつでも連絡してください」 と言われていた。そんなことがあったものだから、最近の「ぼんやり病」がよけい心配になったのだ。今日にでも病院に電話して予約を取ろうと、昨日の時点では考えていた。しかし、考えてみると、明日からの十日間ほどは、様々な予定がすでに入っていて、混み合っている。その間に脳の検査をして、もしかして入院とか手術とかいうことになると、これはけっこうまずい事態になる。その十日間が終わるまでは、なんとか我慢して様子を見ようと思うよう…

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プーチンの矛盾だらけの主張

(これ、何という花だろう。一瞬、イチゴかと思ってしまったが……) プーチンはつい先日、「西側が経済制裁を解けば、オデーサからの小麦等の搬出を認める」と言ったという。これはオデーサ周辺の機雷封鎖を解くと言ったのと同じ(本気で解く気はないと思うが、まあ一応そういう意味)。 そしてまた28日には、ドイツのショルツ首相とフランスのマクロン大統領がプーチンと電話会談し、そのときプーチンは「ウクライナ側が黒海に機雷を設置していて、それが海運の妨げになっている」と言ったという。 今度は、機雷封鎖をしているのはウクライナ側だと言っているわけだ。いったい何のためにウクライナが自国の自由を縛る機雷封鎖などしないといけないのだろう。キーウ周辺での大量虐殺が明らかになったときにも、プーチンは「虐殺したのはウクライナ軍だ」と、シャーシャーと言ってのけた。なぜウクライナ軍が自国民を虐殺しないといけないのだ。 とうていありえないような、プーチンの矛盾だらけの主張には慣れっこになったから別に驚きはしないが、あまりにもひどい矛盾だ。 これからわかること。 (1)経済制裁がかなり実効力を発揮し始めたこと。ロシアの経済力が弱ってきて、それが国民の不満や反抗心(戦争批判)につながることを恐れていること。こうした状況が現実味を帯びつつあること。 (2)ウクライナの小麦が出荷できないことによる世界的な食糧危機を逆手にとって、戦況(および国内の経済疲弊)を好転させようという魂胆があること。逆に言えば、自国の勝利と自国の経済の…

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春から初夏へ模様替え

今、季節は日を追って春を振り捨て、初夏の色模様に塗り替えられようとしている。 (麦が刈り取られたあと、最近は焼かないところも多くなったが、このように真っ黒に焼くところも少なくない。) (耕運機で耕す。機械作業だから、何をやるにも一人で済んでしまう。耕したあとは、田植えを待つのみ。最近の機械は、一台で何役もこなすから、田植えもおそらくこの機械でやるのだろう。) (競い合うように耕運機が動き回る。) (タチアオイが伸びてきた。これはまさに初夏の花。人の背丈を超すほどの高さまで育ち、色とりどりの花を咲かせる。7月末の盛夏を迎えるころには勢いをなくしてしぼんでしまう。) (これも典型的な初夏の花、というか梅雨時をいろどる花、アジサイだ。先日、一花開いたかと思っていたら、もう満面の花。) (柿の実がぷくっと小さくふくらんできた。これが秋には真っ赤な柿になる。今は何というみずみずしさ。) (ビワの実。これは柿よりも早く実って、早く摘み取られる。うまそうだよな。) こうして日本は、今、あわただしくも着々と、しかものんびりと、春から初夏へと模様替えしているが、この瞬間にもウクライナでは激しい戦闘が続いているかと思うと、心は安閑としていられない。 プーチンの狂気はもはやヒトラーやスターリンの狂気と一点の違いもなくなりつつある。独裁者がいったん何かを決意すると、そこに現れる現象はただ一つ、共通のただ一つ、人の命をなんとも思わぬ狂った殺人狂、それだけだ。 (2022年5月26日)マイブログ・トップへ

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麦畑、三者三様。ウクライナ戦争。

我が家周辺の田園風景は、初夏を迎えて、今、激しい勢いで変化している。 毎日の散歩においても、コースを少し変えてみると、 「あれ、もうこんなことになっていたのか」 と驚くことしばしばだ。 下は、お宮の庭の隅に捨てられていた(?)、小箱に入った白イヌ。少なくとも、春先にはいなかったイヌだ。誰がいつ捨てたのだろう。本当に捨てたのだろうか。そっと守神として置いていったのではなかろうか。そんな気もする。 ----------------------------------------------------------------(1)我が家から1キロ圏内ほどの麦畑は、まだこの状態だ。たわわに実って刈り取りを待っている。これぞ麦秋というところ。----------------------------------------------------------------(2)ところが、我が家から少し山側に入ると、麦はもうすっかり刈り取られ、ブルドーザーだか耕運機だかコンバインだか知らないが、一人乗りの土をならす機械で畑はかき回され、新鮮な空気を腹一杯吸ったほかほかの土の世界に変容している。あとは水利組合の強力な指導に基づいて、田に水を入れる順番を待つだけだ。----------------------------------------------------------------(3)さらに山里近くまで歩いてみると、すでに田植えさえ済んでいた。ついこの間まで黄色い麦がたわわに実っていたはずなの…

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初夏真っ盛り。投降したウクライナ兵のこと。

初夏の色合いが濃厚になってきた。 今日見かけたもの、まずは梅。小さな実がプツプツと葉陰に隠れるように生っている。なんとも可憐で、すがすがしい。 麦も色づき、刈り取り間近。いやいや、すでに刈り取りの最中だ。麦秋だ。2,3割の麦畑で刈り取りが済んだ。機械で土を掻きならし、田植えの準備が始まっている。いよいよ初夏真っ盛りというところ。 ウクライナがどうなるのか、いつも気にかかっている。マリウポリの製鉄所からは二千名に余る兵士が投降して出てきたらしい。彼らはロシア側の管理下に置かれ、場合によっては厳しい尋問や拷問を受ける可能性がある。少なくとも彼らの命を取引材料として、ロシアは戦いを有利に進めようとするだろう。ウクライナ側が求めるようなロシア兵との捕虜交換に応じることは考え難い。 ロシアにとっては、捕虜になっているロシア兵よりもはるかに貴重な戦利品なのだ。人質なのだ。要求を呑まなければ、一人、また一人と殺していくぞと脅しをかけることさえ可能な人質なのだ。 二千名の命を人質に取られている状況下で、ウクライナが反転攻勢をかけられるのか。 成り行きを見守るしかない。 (2022年5月23日)マイブログ・トップへ

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我が家の春

いよいよ春は盛り、初夏が近づいてきた。我が家の春も、新鮮でみずみずしかった花の時期から、落ち着いた新緑と実りの春へと変化してきた。 (名前は知らない。この時期、ずっと咲いている花だ。) (これも正確な名前は知らないが、スミレの一種だろう。) (ラン。意外に育てるのが難しく、咲かない年もあるが、今年はみずみずしく咲いた。) (フキ。フキノトウとして食べるには早いのか遅いのか? 今は食べられそうにない。) (カリン。みずみずしい新緑が目を射る。そして何より幹のまだら模様に特徴がある。) (カリンの根元をびっしり埋め尽くしているヒイラギナンテン。真っ黄色な花が芳香を放っていた早春期は過ぎ、今は小さな粒々の実の季節である。) いつしか5月。梅や桜に彩られていた春が遠い昔に思われる。ほのぼのとあったかな初夏模様だ。近在の早いところでは、すでに田植えが始まっている。 毎日の散歩が楽しみな時期でもある。といっても、散歩は年中、ほぼ欠かさず毎日の日課なのだが、寒さを感じなくなったのが嬉しい。 ただ、歳のせいなのか、ときおり胸がチクチク痛む気がしたり、坂道を上ると息切れしたりすることがある。ひと言で言うと、胸の違和感だ。それが気になって、先日心臓のエコー検査をしてもらった。といっても、私からの希望でやってもらったというよりは、一年前からの予約であった。定期的に年に一度検査しましょうということになっているのだ。 その検査で、少し問題がありそうということになり、さらに数日後、アンモニアPET検査とい…

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初夏が近づく。プーチン、勝つの負けるの?

《もうこんな季節なのか。端午の節句が近い。》 《土手の斜面にアザミが顔を出した。》 《気がつくと、いつの間にやらツツジの季節。そう言えば四月も末だ。》 《アヤメは5月かと思ってたら、もう咲いている。》 《麦がぐんぐん伸びてきた。まだまだ麦秋には早すぎるが……》 《我が家の庭はもうすっかり野良猫の遊び場だ。常連が3,4匹、我が物顔で入ってくる。住み着いているとまではは言わないが、彼らにとっては言わずと知れた大事なエサ場。エサをやるから入ってくる。入ってくるからエサをやる。どちらが先とも言えないニワトリと卵だ。》 プーチンは一人で狂っている。ロイア帝国皇帝にでもなったつもりで、領土を帝国時代、ソ連時代に戻そうとしているらしい。そのための抵抗勢力は殺しても平気。 問題は二つある。第二次大戦後の国際条約による国境線と国の主権を侵害しない約束。それをプーチンは平然と破っていること。自らの価値観を他の何よりも優先させて、国際条約を無に帰そうとしている。 もう一つの問題は、プーチン自身の内面の問題。ロシアの皇帝、総大将としてのたったひと言の命令によって、何万、何十万の人の生命を奪うことになるという現実に、何らの罪の意識も慚愧の思いも感じていないらしいこと。これはもう人間沙汰ではない。プーチンの先々に待っているのは地獄しかないだろう。いつからこういう残虐な人間に変身したのかぼくにはさっぱりわからないが……。 幸いと言おうか、苦悩の中でのやむを得ない選択と言おうか、ウクライナには今さまざまな兵…

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戦争と平和。春らんまん,満開の桜。

今日がまさに満開の桜でした。ほぼ百%花開き、しかも道に一輪の花びらも散っていない。これぞ究極の満開、極点です。 (地蔵のそばの一本桜。今日が満開でした。)私の散歩道ですから、名所でも名物でもありません。見物に来る人などいるはずもなく、ただひっそりと天に向かってあでやかな姿を、誇らしげに、いかにも笑っているかように広げているだけです。 (これも満開の桜。いや、桃でしょうか。まだ丸い蕾も少し残っています。) (散歩道の池。鴨が群れ泳いでいました。岸辺で休んでいるのも大勢います。) (我が家のカリンもポツリポツリと咲き始めました。) 暖かな陽気のもと、今日はまさに春を感じる散歩でした。 遠い彼方では理不尽な戦争がつづいています。場合によっては、日本までが巻き込まれるおそれのある戦争です。第三次大戦などという不気味な言葉が聞かれることさえある戦争です。 平和を願うことしきりです。 戦争。すっかり過去のものになったと思っていたのに、よくよく振り返ってみると、私が生まれてこのかた(つまり1948年以降ですら)、日本が多少なりともかかわった戦争がいくつもあるのに気づきます。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争などなど。 20世紀が「戦争の世紀」と言われ、21世紀には人類もさすがに理性を取り戻して、「平和の世紀」になるかと期待していたのに、事態はまるで逆転したかのように、相変わらず地球のどこかで戦争がつづいています。 情けなしや、人類。 いったいなぜでしょう。主義主…

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プーチンの野望を打ち砕くには。桜爛漫

つい先日まで、梅が盛りで、「桜はまだかいな」と思っていたら、ここ2,3日で、一気に形勢が逆転した。 梅は見る間に散ってしまった。ツンツン伸びた細い枝から新緑がかすかに芽を吹いている。 代わって桜だ。あれよあれよという間に、日を追って三分咲きから五分咲き、さらには七分咲き。勢いのよさに驚いてしまう。 (去年の案山子。なんだか処刑台に架けられたよう。) (地蔵のそばの一本桜) (あでやかに咲いたソメイヨシノ) (ジンチョウゲ。ほころび始めたが、まだまだ芳香を放つ。) 毎日、ウクライナが気がかりでならない。プーチンはますます狂い出すだろう。殺人鬼と化すだろう。遠い日本の、しかも四国の松山の地からでは、何もしてあげられないのがつらい。踏ん張って戦っているウクライナ兵士たちに心の底から声援を送るだけである。この戦争が今後どうなっていくのか、さっぱり見当がつかない。新聞などによればいくつかのシナリオが予想されている。だが、これだと言える確たるシナリオは私には見えない。世界を巻き込んだ地獄図が待っていそうな気さえする。プーチンが妥協するとは思えない。彼の危険な野望を消すには、プーチン自身を消すしかないだろう。肉体的に消すか、あるいは国内における政治的追放(クーデターなど)か。どちらも可能性は見えないが、結局のところ、そのいずれかしかないように思う。いったいどうなることだろう。 (2022年3月26日) マイブログ・トップへ

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ウクライナ侵攻は満州事変となんと似ていることか

<春の訪れ>スイセン 川べりのシラサギ 紅梅 白梅 黄砂に霞む遠景と、用済みになって投げ捨てられたカカシ プーチンの狂気は、いままさに極まろうとしている。原発を攻撃するなど、正気の沙汰ではない。核兵器をちらつかせていることとも合わせ、よほど精神的に追い詰められているようだ。そうとしか考えられない。軍や政府を批判する情報(彼からすれば「誤った情報」)を流すと,懲役ないし罰金に処すなどという法律を、わずか1,2日の即断で作ってしまったというのも、精神的に追い詰められている証拠だ。もうどうにもならないところまで,彼は来ている。国内の反対世論を抑えるのに、説得などという生ぬるい手段では効かなくなっているのだ。正論で説き伏せることができないわけだ。強引に力尽くで抑えるしかなくなっている。ロシアの国連大使が四面楚歌の中で、「原発の火災はウクライナ側が火をつけたせい」などと、とてもありえないウソをシャーシャーと述べて失笑を買った。国際的には失笑を買う以外、何の効果もありはしないが、これを国内的には唯一の正論として、それ以外の論を力で排除しようとしている。それが今のプーチン政権だ。かつて日本軍(関東軍)が満州事変を引き起こしたときのウソを思い起こしてしまう。満鉄の線路を関東軍自らが爆破しておきながら、それを中国側のしわざだと言い張って、満州に攻め入ったのだった。しかも、「領土的欲望はない」とか、「戦争は拡大しない」とか言いながら、その実、戦線をあっという間に全満州に拡大し、満州をのっとってしまったのだっ…

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ブーチンの狂気。頑張っているウクライナ

首都キエフは侵攻開始後、2,3日で簡単に陥落するものと当初は考えられていた。だが、プーチンの思惑通りには進まなくなっているようだ。ウクライナ軍の抵抗がなかなか厳しいのだ。 《穏やかな平和ほどよいものはない。》それにそもそもキエフ攻撃は、プーチンがウクライナ侵攻を始めた24日時点では、世界に向けての軍事侵攻正当化の論理の中に入っていなかった(心の内、および長い計画の中には入っていただろうが)。少なくとも世界世論向けには、ウクライナ東部の傀儡的な親ロシアの2つの人民共和国(世界のどこからも認められてはいない)を独立国として認めて、その上でこれら2国にウクライナ軍がジェノサイド(民族皆殺し)を仕掛けているというとんでもないフェイクニュースを堂々と流して、自衛のためにウクライナ軍を打ち破るというものだった。大義名分は、ウクライナ軍によるウクライナ東部の親ロシア勢力への常軌を逸した攻撃への自衛であった。これを許しておけば、ウクライナ東部の親ロシア的人々(古くからロシア語を母国語とし、ロシア文化圏に入っていた人々)が大迫害を受け、民族滅亡にすら追い込まれてしまう。その危機感(実際にはありもしない危機感)を大フェイクニュースに仕立て上げ、人々をその危機感の中に流し込んでしまおうとしたわけだ。だけどこれもブーチンの思惑通りには進んでいない。国内で反戦運動、平和運動、反プーチン運動がこれまでになく高まっている。プーチンの焦りが目に見えるようだ。その典型例が、全世界からの経済制裁(中でもスイフトからの除外)に対して…

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キエフ陥落⇒ワルシャワ陥落の悪夢

現代の出来事とは思えない、時代遅れの侵略戦争が勃発している。 《プーチンは早く悪夢から覚めてほしい。梅が叫んでいる。》キエフ陥落が近い。それで連想することがある。私の父と母が結婚したのは1939年9月15日だった。その日の朝日新聞を見ると、「ドイツ軍総攻撃を開始、ワルシャワ完全に包囲」と黒々とした特大見出し。9月1日に始まったナチスドイツによるポーランド侵攻が、いよいよ首都ワルシャワを陥落させる寸前まで来ている。しかも、ポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦の大波はすでに全ヨーロッパを呑みこもうとしていた。西部戦線であるフランスでは、イギリス軍が上陸し、ナチス対仏・英の戦いが本格化しようとしている。今回のウクライナ侵攻が第三次世界大戦の導火線になるとは思わない。だけど、危険な予感をはらんでいるのはまちがいない。「幸いにして」という言葉は当たらないし、それはウクライナに対してあまりに残酷な現実ではあるが、軍事同盟としてウクライナを守る義務を負う国がない。これが1939年当時と今との最大の違いだ。1939年時点にはそれがあり、それがために世界(ヨーロッパ)が反ナチスの戦いへと一気になだれ込んだのだった。プーチンはこうした事情を見越して今回の行動を起こしたのだろうが、それにしても、ウクライナにしろ、当時のポーランドにしろ、これは明らかに強者による弱者への「国盗り」侵略戦争だ。戦後の国際的合意によって、決して許されなくなった1世紀昔の古い世界観による侵略だ。クリミア併合とは話のレベルが違う。一国をそっ…

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人生の目標を立て直す

いつも散歩で通る道に、「伊予の細道」というのがある。「奥の細道」に比べれば何百倍も短い道だが、なかなか風情がある。四国国立がんセンターの周囲をぐるりと回るだけのせいぜい1キロあるかないかの道なのだ。木々が季節季節の花をつける。今はもちろん梅だ。白梅と紅梅。満開に近い。 (伊予の細道の紅梅) (伊予の細道の白梅)残念なのは、あまり匂わないこと。もともと梅は春の花の中では匂わない方だ。桜の無臭ほどではないにしろ、一輪一輪は鼻を花びらにくっつけないとにおいがわからないのが普通。甘酸っぱいいい香り、いかにも「梅」という感じのいい香りがする。鼻をくっつけたときにはだけどね。くっつけなくてもぷーんといい香りに包まれるには、少なくとも数十本の梅が密集して咲き誇っていなければならない。今、香りに満たされているのはスイセンか菜の花。それと少し時季外れになってはいるがロウバイくらいか。これらもよく歩く田舎の散歩道には満ち満ちている。散歩の楽しみは風景とともに、それ以上に香りなのだ。人間は目よりも鼻から季節を感じる。これはどうやらたしかなことに思える。あとひと月も経たないうちに、わずか一本のジンチョウゲが、数十メートル先からでも香ってくる季節が巡ってくるだろう。それはそうと、今、私は二つの持病のどちらも非常に良好な状態にある。潰瘍性大腸炎の方はずっとこのところ良好が続いているが、一週間あまり前が、もう一つのアミロイドーシス(プラス腎臓)の定期診察日だった。このところずっと基本的には横ばいだったのが、ほんの少しだが「…

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初冬風景

<松山城の堀之内公園、桜の色づいた葉っぱはもうすっかり脱毛状態> <脱毛の桜の下でオカリナの練習をする初老の男女> <我が家のそばの田園。すっかり秋色から冬色へ模様替え> <稲の穂の列は二番穂。これもやはり冬色なのだ> 寒い日が続く。外に出るとキューンと身が締めつけられる。北の国の人には笑われそうだが、季候のよい瀬戸内の松山では、この寒さはすでに真冬並みだ。 おととい、月に一度の受診日。全身性アミロイドーシスの方も、腎臓の方も、近ごろになく数値がよく、それを知らされただけでとたんに元気が倍増した。人の体というのは現金なもの。体内感覚は同じでも、検査の数値によって元気さの度合いはずいぶん変わる。 数値の良さは、妻が食事に気をつけてくれているのが主要因だと思う。ありがとうと感謝だ。 それと第二には、散歩の歩速がずいぶん速くなり、その分、距離も延びたこと。これは七十をすぎて難病を抱えるぼくのような者には良し悪しかもしれない。そして妻は事実、歩きすぎは体によくないと常々言っている。だが、ぼくはその点だけは妻の忠告に素直に従う気になれない。毎日1時間近く歩くことの功罪についてはぼくも少し心配がないわけではなかったが、結果が「よし」と告げているから、やはりよいことなのだと自分自身に言い聞かせることにした。 よい気分転換が肉体にもよい結果をもたらすということだろう。肉体と気分は実によく連動しているものなのだ。この事実はいわゆる「気の持ちよう」などという単純なものではない。もっと深いところで実際強…

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おじいさんとは?

カリンが黄色く色づいてきた。先月末にはまだ青かったカリンが、師走に入ると、とたんにみるみる色づいた。葉っぱの方もなかなか鮮やかな紅葉だ。すでに老人の抜け毛のように哀れな姿になってはいるが……。 老人の抜け毛と言えば、そうそう、一人黙々と散歩していた昨夕、小学校のそばで、帰宅中の女子児童二人の楽しい会話が耳に入った。「うちのクラスに、おじいさんのことをハゲって言う子がおるんよ~お」「ふーん、それ、あんたのことでしょうが!」聞いていて、思わず吹き出しそうになってしまったが、彼女らが「おじいさん」と言うとき、それはどれくらいの歳の人なんだろうと、一瞬さまざま想像が浮かんだ。七十を過ぎたぼくのような者は、もう小学生の目には、おじいさんの仲間にも入れてもらえない半死人だろうかとか、彼女らがその後すぐに校長先生の話を始めたりしたから、校長先生くらいの歳なのだろうかとか。ならば五十代後半から六十あたりだろうかとか。つまり、現役で働いている人のうちの高齢者、それが小学生の目に映る「おじいさん」なのだろうかとか。現役をリタイアしたぼくのような者は、もはや彼ら彼女らからは同じ世界に住む人間とさえ見られていないのではないだろうかとか。そう言えば、うんと昔、たぶん小学三年生のときだったと思う。小学館の「小学三年生」に「船頭さん」の歌が載っていて、それに「今年六十のおじいさん」という一節があった。そのときのぼくの感覚では、六十はすでによぼよぼのおじいさんだった。 よぼよぼのはずのおじいさんが、「年はとってもお船…

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木星と金星の競演(3)

夏以来、木星と金星の競演が続いている。金星はここ何ヶ月も、宵の明星でしか出てこない。散歩の途中で薄暗くなったとき、一番星として浮かび上がるのが金星なのだが、その位置はほとんどずっと変わらない。ひと言で言えば、西の空だ。とはいえ高度は45度くらいのことから、うんと低くなることまで、時々によって違ってくる。今は40度というところだろうか。夏はもっと高かった。対して、木星の位置がずんずん変化していく。8月下旬の衝のころには、当然ながら太陽の真反対の位置だった。つまり太陽が沈んだころ、東の空の低い位置に出ていた。肉眼ではわからないが、まん丸な満月のような形だった(はず)。その後、木星の出る位置はずんずん西に寄ってきて、今は天頂よりも西寄りだ。そしてその分、地球から見ると欠けている。金星も木星も欠けているのだが、それは肉眼ではわからない(少なくともぼくの目では)。わかるのはただ煌々と照っていることだけ。 位置を「西の空」と書いたけれども、正しくは「南西の空」だ。今は冬至が近いから、黄道はかなり南によっている。太陽も金星も木星も、すべて南寄りの円を描いて回っている。太陽が沈む位置は、ほとんど南の限界に近い地点になっている。金星や木星ももちろんそうだ。春分や秋分のころは真西に沈み、夏至のころには逆にかなり北に寄った地点に沈む。すべては地軸の傾きにその因がある。昨日も今日も空は雲一つなく晴れていたから、金星が宵の明星となって浮かび出たとき、木星も同時に鮮やかに輝いていた。空に二つの電灯が灯っている感じと言ってお…

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立憲民主党の代表選

散歩道にも秋が深まってきた。いや、秋はもう盛りを過ぎた。名残の秋は耄けてしまい、冬がすぐそこだ。 今、立憲民主党代表選の最中だ。4人が立候補しているが、誰もみな、ひと言で言えば「弱い」の一言に尽きる。立憲の強化に期待している者として、これは残念でならない。カリスマ性がまるでないのだ。引っ張る力がない。引きつける魅力がない。ドイツのメルケルさんのような人が出てこないと、日本の政権交代は難しい気がしてきた。立憲には人材が不足している。申し訳ないが、この4人を見て、つくづくそう思う。この程度の人しかいないのか。枝野さんでは衆院選は勝てないだろうと、これも残念ながらそう思ってた。理由はカリスマ性のなさ。国民を引っ張る力が今ひとつなかった。しかし、今の4候補を見ていると、その枝野さんにさえ勝るとは思えない。これなら枝野さんがそのままやった方がまだましだったのではないか、そんな気がする。共産党と組んだから支持層が離れたという議論が、党内外から(特に党外から)多く聞かれる。これはしかし、自民党側から衆院選の最中に流された宣伝文句だった。「立憲共産党」などと麻生氏が揶揄した。まさかそんな馬鹿げた他党批判が通用するとは思いもしなかったが、こんなデマをさえ跳ね返せない立憲の弱さにも、同時に突き当たったのだった。跳ね返せないものだから、国民は気分として野党共闘を毛嫌いし、離れていった。麻生氏の馬鹿馬鹿しいフェイクなねらいやられたのだった。どうして跳ね返せなかったのか。それは、端的に言えば、共産党と組む…

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キンモクセイに見る異常気象。残念な選挙結果。連合の変質

おとといようやく咲き始めたキンモクセイ、今が盛りだ。こんなに遅いことはぼくの人生で、少なくもキンモクセイを意識するようになった小学四年生ころからは、なかったことだ。 (我が家のキンモクセイ) (近所のキンモクセイ) なぜ小学四年生からなのか。それは松山の地方祭と関わっている。 ぼくは四年生から、わが町(江戸時代の古地名では北小唐人)の巨大な子供ミコシをかく仲間に入れてもらえるようになった。毎年10月7日が本祭りであって、公立の小・中学校はどこも休校になるのだが、不思議なことにその日から、キンモクセイが香り始めるのだった。ミコシをかくようになって、それに気づいた。当時のぼくは、それをキンモクセイという花だとは知らず、祭りになると家ごとに焚くお香のようなものとばかり思っていた。 それくらいいい香りが町中に漂うのだった。10月7日に一度目が咲いたあと、いったんきれいさっぱり散ってしまい、10月下旬(20日前後)に二度目が咲く。二度目の方が香りがよい。キンモクセイはたいてい毎年二度咲きなのだ。 だけど今年は二度咲きはないかもしれない。実を言えば、一度咲きさえないのではないかと心配していた。キンモクセイは今年、異常気象を感じとって、拗ねて咲くのをやめてしまったのではないかと思っていた。10月30日という、過去に例のない異様な遅さではあったが、一度目が咲いた。「ああ、ようやくそのときが来た。キンモクセイは咲くのをやめたりはしなかったんだな」と、ぼくはほっと安堵した。このあと、はたして二度目…

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キンモクセイよ、カラスよ、シラサギよ

どこからかいい香りがしたと思うと、ようやく今日、キンモクセイが咲き始めた。いつもなら10月初旬(7日前後)に一度目が咲き、10月下旬に二度目が咲く。今日は30日。二度咲きにしても遅い部類だ。それがやっと一度目だから、なんという異常!! これは我が家のキンモクセイに限らない。どこも今日が咲き始めだった。散歩していると、昨日までは香らなかったキンモクセイがあちこちで香る。かすかな季節の変化を敏感に感じとって、彼らは一斉に咲き始めたのだ。この「一斉」がなんとも不思議でならなかった。これほど敏感に、一斉に、温度や湿度の変化を感じとる能力って、植物の内部に本当にあるのだろうか。不思議でならない。とても信じられない。カラスが一羽、刈田をぴょんぴょん跳ねながら歩いていた。カラスはたいてい群れているもの。空を飛ぶときも、刈田に降りてくるときも、一羽だけということはまずないものだ。孤独に一羽だけびょんびょん跳ねているのは、いったいどういうわけだろう。なんだか孤独を好むぼくを真似ているよう。哀れであり、慕わしくもある。今日はシラサギの滑空も見た。ちっとも羽ばたかず、すーっと滑るように高度を下げていく。はじめは鳥とは見えなかった。グライダーかドローンか、そんな無機質の滑空を想像した。だが、続いてもう一羽、ぐるぐる羽ばたきながら旋回していたかと思うと、先ほどと同じ場所まで来ると、羽ばたきをやめて滑るように降りていく。先ほどと同じ。あれはシラサギだったと確信する。どうやらそこに下降気流があるらしい。植物にしろ、鳥にしろ、…

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岸田政権への反期待感?、野党統一への期待感!

ご祝儀相場で始まるかと思いきや、今日の毎日新聞オンライン版によると、岸田内閣の支持率は49%。これは菅内閣発足時の64%を下回って、過去20年間では麻生内閣発足時の45%に次ぐ低さだという。政権交代を夢見るぼくとしては、ご祝儀相場はきついなと正直思っていたが、これだと可能性が出てきたではないか。ちょっと嬉しい。実際、岸田氏が首相になることが事実上決まったころから、日本の株価は急落し、先行き不安が目に見えてきた。岸田内閣への期待感は、岸田氏が期待するほどには上がらなかった。もっとも、株価は上下動が激しいから、わずかな要因でもすぐに上がり、またすぐに下がる。これだけで政権への評価と見るのは少々危険。支持率が低い理由は他にいろいろある。大きいのは、背後に安倍元首相や麻生氏という、頑迷な保守の重鎮が控えていること。そのにらみから解き放たれていないこと。蛇ににらまれた蛙なのだ。安倍一強時代と事実上、何も変わっていないのだ。それを国民に見透かされているのだ。さらには、甘利氏や小渕氏という、過去に政治と金の問題を引き起こした人物を起用したこと。彼らは少なくとも国会の場では何も説明していない。限りなく黒に近い灰色の人たちだ。庶民はもうとっくに忘れているだろうと甘く見たのは大間違い。うんと若い人は別として、ぼくら老年や、そうでなくても中年以上の人たちは、この二人を灰色どころかまっ黒な人として記憶にしっかり刻みこんでいる。そんな人を起用するしかない、自民党の人材のなさがここに露呈した。人材のなさと言うよりも、背後の重…

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木星と金星の競演(2)

昨日は中秋の名月。それが満月だった。こういうことは珍しいらしい。しかし、一度こうなると、2年ほどは同じ現象が続くという。昨日見られなかった地域でも、たぶん来年は見られるだろう。 (今夜の月。十六夜の疑似満月)昨日、松山の空は残念ながらどんより曇り空。昇ってくる満月を見ることができなかった。一昨日は、すばらしい十四夜の月(擬似満月)を見ることができたのに……。 今日は十六夜。今日もまた疑似満月を鑑賞できた。もうここひと月以上、夕空で木星と金星の競演がすばらしい。東と西の競演である。 8月末ごろには木星の方がはるかに鮮やかだった。そのころの木星はマイナス2.9等級、金星はマイナス4.0等級。光度だけなら金星がまさっていたが、木星は衝を迎えて間もないころ。満月のようにまん丸だった。対して、金星は最大光度に近くて、三日月のように欠けていた。光度と見かけの大きさを掛け合わせた積において、木星の方がまさっていたということだろう。昨夕、東の空は曇り空、西の空には晴れ間があった。木星は雲を通してしか見ることができず、金星は晴れ間の中に浮かんでいた。そのため金星がはるかにまさって鮮やかだった。ついに逆転したかと思ったのだった。だけどそれは対等な比較ではなかったようだ。 今夕は晴れ渡った夕空。実にすばらしい木星と金星を見ることができた。両者を対等な晴れ間の中で見比べると、優劣なしの同点だった。今の光度は、木星がマイナス2.7等級、金星がマイナス4.2等級。光度と見かけの大きさをかけ合わせた積において、金星がつ…

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